横領と餞の歌


 学生兼、嘘つき。
 それがおれの職業。だからなにって、特にどうというわけでもないけど。だいたいこれもその場しのぎでしかない、一種の戯言でして、




 まずは世情と、あらかたおれの思想についてでも。
 おれがこの世で信じているものは、そうだね。ヘッドフォンから鼓膜を揺るがすべく、伝わるものだけ。音楽。
 世界にふく風もすべて音楽からつくられたものであればいいのに。おれの細胞ひとつひとつも音楽からできていればいいのに。
 まあ、戯言だろうね。かなわぬ願いというもの。実際たいして願っているわけでもないし。
 おれはニヒルな笑顔をうかべます。それがおれの基本態勢。にこり
 世界に存在するものたちすべてには絶対性なんてなく、なにごとも代用がきくんだね。おれがいなければ、違うだれかがこの場所にぴたりとはまり、同じように日常が進むだけ。
 それでも音楽は一瞬だけでもおれに意義のようなものを与えてくれている気もしてくれるもんだから、彼(音楽)は本当に優しい。音楽というものが具現的に存在するならば、おれはもっといい人になれるかもしれない。一曲一曲が人間であれば、この世はどんなに面白いか。そしたらおれにはどんな曲なのだろう。もしそんな世界なら、おれはaikoのうたと結婚したい。おっと現実逃避が入ったね。
 実際もしそうやって曲が人だったら、おれは興ざめしてしまうのかもしれないから、実際はそうじゃなくてよかったのだろうしね。
 それでも世界はこうやって、おれが見える世界しかおれには存在していないから、おれはすべて諦めすべての嘘を見極めたふりをして騙され続けてゆくのです。(なんて悲しき因果!)






 ああなんだろう。
 いやに気分がいい。
 映画のワンシーンみたいに目の前の光景が映る。きっと映像からは赤味をぬくと、エグいシーンも現実味が失せてちょうどよくなるのだろう。綺麗な群青のカット。歌のPVみたいで、いいな。
 にぶい音。おれも赤を遮断できる眼球が欲しい。両手の人差し指と親指で横長の長方形のフレームをつくる。モノクロやセピアでも想像してみた。モノクロは結構いいけど、やっぱり赤味を抜いた映像が一番だ。
 そいつは黙って殴られ、蹴られる。最初は抵抗しようともしていたようだが、今はすっかり黙りこくってされるがままだ。青。そうか、赤味を抜いた映像は血も赤くないから気分がいいのだ。くさいものにフタの原理だろうな。
 三人のいくらでも取りかえのきく友人が彼に暴行を加える。楽しいのだろうか。おれは一メートル離れたところにつっ立って、傍観しているだけ。別に怖いだとか罪悪感とかではない。興味がないし、意義がわからないから、しない。見張りという役名でヘッドフォンから音楽を流してつっ立って傍観しているだけ。たまに風でコードや髪がゆれるだけ。できるのなら、PVみたいな生き方をしたいなあ…


 いつの間にか暴行は終わったらしく、友人たちはおれに「行こう」といって屋上からでて行った。あいつらの意義はなんだろう。
 憂さ晴らし。ストレス解消。なんとなく。わからないか、さして興味もない。おれは彼らの顔が判らない。所謂認知症というものだろうか。別に髪型や背丈、うさん臭さでわかるからいいんだけど。入学した頃はしっかりと認識していたはずだ。さて、彼らの顔はどんなものだったか。
 おれもさっさと帰ることにして、階段へと向かう。一度足を止めて彼の方を見やった。やはり顔がわからない。きっと彼はそのもの臆病そうな顔をしているのだろうな。彼はおれと目が合うとあからさまに怯えた。無視して視線を戻すと、おれは聴いている曲を小声で歌い始めた。一応暴行の最中に脇で歌われるのも微妙だよな、と言うことで自粛していたのだ。えらい。
 おれはどんな顔をしていたのだろう。いるのだろう。




 窓際の席というのはいい。音楽が映える。気分も乗るものです。
 聴いている曲を口ずさむ。昼休みだというのに教室にはほとんど誰もいない。おれは愛すべき窓際の席で一人で食事とする。無用な関わりはいらない。ペテン師の笑みはいらない。いやな関係を無理無理続けることはしたくないのだ。面倒だから。じゃあどうしておれはあいつらに付き合ってんのかな……
 ストイックに生きてみたいもんだね。口の中だけでそういった瞬間、乱暴に教室の扉が開いた。おや、友人Aじゃあないか。
「おい」
「うす」
 弁当をかきこみながら返事をする。直々にわざわざおれに話しかけてくるなんて珍しい。教室も遠いってのに
 そいつはばさばさとおれがいるところの隣りの席に、持ってきたものを広げた。「なに?」「察せよ。おまえ、器用だから頼むわ」や、本気でわからんのですけど。友人Aは最初から科白を決めてたかのように、もう一度だけ「頼むわ」と言うとさっさと教室から出て行った。あれ、あいつどんな表情してたっけ……首を伸ばして彼の去った先を見たが、当然もう見えない。仕方なく、おれは友人Aの持ってきたものに手を伸ばした。




 怖いだけなのかもしれんな。
 この行為を止めないのはさ。確かにどうでもいいんだけど、やはりおれがまったく心を痛めてないってことも、ないんだろうよね。
 ところで哀れないじめられっ子Aくん。きみはどんな世界を見てみたい。
 おれは先もいっていたように、群青色の、赤味を抜いた世界が見たい。別に誰もが幸せでなんてなくていい。おれだって別に幸せになりたいわけでもないさ。望みはなんだ。
 ただ、いじめなんてくだらないものには余り関与したくもないよね…、見てて気分も悪いのだろうさ。やってる本人はいい気分なのだか知らんけど。思い出しては死にたくなりもするのだろうか。


 相も変わらずの屋上。彼らは校庭側のフェンス近くで揉み合っている。さすがの彼も抵抗するのだなあ、なんて傍観しながらぼんやり考えているおれは、道路沿いの辺のフェンスに腰掛けている。
「おまえ、アレ、書いてきたか?」
 ひとりがおれをふり返って問う。昼休みおれを訪れたAだ。「そりゃあ、もう。ばっちり」おれはニヒルな笑みで封筒をびしりと提示する。Aは安堵したような表情を浮かべると、おれの近くに来て封筒を受け取った。わざわざ中を確かめるようなことはしない。いくら代わりがきくと言っても、その程度に信頼関係はあるのさ。彼はさらに強張った顔をして抵抗の手を強める。ああ人間ってのはどれだけ死にたがっても、やはり死にたくはないと思う気持ちが耳かき一杯程度でも残っているものなのだよなあ…


「少年」
 おれが彼に声をかけると、物珍しいものでも見るかのように友人たちもこちらを見た。おれは空を仰ぐ。空はやはり青くていいな。おれはきっと音楽のほかには空を信じているだろう。フェンスは座るものではないんだから、背もたれなんてものはない。その不安定さが冷や冷やしていい。少年、だなんて少しかっこ付け過ぎたか。苦笑。
「怖がることはねえ。飛びおりは楽かつ、もっとも爽快な死にかただ」






 昼休み、Aが持ってきたのは彼のノートと封筒だった。ノートは普通の授業でつかっているもので、主要教科ほとんどのものがそろっていた。
 おれは理解する。つまりは、これらノートを見て彼の筆跡を真似て、遺書を書けということ。
「へえ…………」
 来るところまで来てしまった。きっとあいつらは今日の放課後、彼を屋上からつき落とす。おれはその彼の遺書を書けばいい。文面なんてさして考えなくていい。怪しまれるから多くを語る必要もない。ただ自殺とにおわすことさえできればいいのだ。たとえば、「生きることに疲れました、さようなら」だけでもいい。ノートからこれらの字を拾うのは面倒だが、不可能でもないだろう。例えば「生」の字は生物のノートからすぐに取れる。「疲れた」は、英語の中に一度くらいは「tired」なる単語が出てくるだろうし。いざとなったら少々頭は悪いけれど平仮名でもさして問題ないだろう。
 学校は事件を揉み消したい機関だ。多少そうして工作すれば、あとはなにごともなく自殺として処理されるに違いない。なんておそろしい機関だ。あいつらの考えは甘かったか? そうかもしれない。
 さっそくおれは遺書作りに取り掛かることにした。昼休みの残りは少ない。
 ぺらぺらとノートをめくる。彼の臆病な性格に似て、小さく、男子にしては丸い字が、細々と整然と並んでいた。目頭をおさえる。頭が痛くなってきた。


 遺書はなにを手間取ることもなく、すぐに完成した。
 面白いな、これじゃ「死ぬから遺書を書く」のではなく「遺書があるから死ぬ」のではないか。本末転倒とはこういうことをいうのだろう。
「今おれがこいつに渡したの、何だかわかる?」
 Aの手の封筒を指差して、問う。相変わらずおれは笑顔を崩さない。おれもおれが恐ろしくなってくるよ。なかなか冷酷なもんだよな。
 彼は答えなかったが、しっかりと頭では理解しているようだった。いやいやと頭を横に振る。心底怯えきった目がおれを捉える。
「なあ、おまえは今、なにを思ってる」
 やっぱり彼は何も答えなかった。友人たちにぎっちりと捕まれた手がぎしりときしむ。いや、おれの乗ったフェンスの音だったかもしれない。
「そいつらのこと、恨んでる? 恨んでるだろうなあ。自分のこと殴って蹴って、しまいには殺そうとしてるようなやつらだもんなあ。そりゃあ恨むよ。でも、できれば許してやってよ。いや、別に許しを請うわけでもないさ。飽くまでおれのちょっとした希望。良かったら許してやって。おなえが死ぬ必要もないのだから」
 おれは、ひざにひじを乗せて頬杖を付く。からだは風にあおられて不安定だ。屋上は風が心地いいな。なにより、空が近い。
「はあ? おまえ、なに言って…」
 彼よりさきに友人BだかCがおれに言葉を投げた。いいさ、おまえらにはわからなくていい。


「きみはさ。死ななくていいよ」


 ぱっ と彼の顔から絶望の色が消えて単なる驚嘆と微かな喜びのまじった表情となった。それでも矢張り彼の顔がわからない。もし今日が雨上がりでおれの足元に水溜りがあれば、足元を覗き込んだら自分の顔が見えただろうか。
「なに勝手なこといってんだよ、おまえ」
 Aが少し忌々しそうな表情をしていう。いや、いいって。気にすんなよ。
 彼の表情はすぐに「いや、そんな上手い話があるはずがない」とでもいうように再び緊張する。頬杖を外しておれは両手を身体の両脇に置く。その手とフェンスの縦棒に絡めた足だけがおれの命綱だ。ああ、なんだか爽快だなあ。なんだろうこの気持ち。
 おれは一度屋上の地面に足を付ける。ぴょん、と着地すると、そのままフェンスのほうを向き、よじ登った。
 先ほど座っていたところに、立っている。両腕を思い切り広げると、意外に風が強いらしく結構な抵抗があった。
「ひゅー」
 くるりとおれは百八十度からだの向きを変えた。これでもおれはバランス感覚には自信があるほうだ。うっかり落ちるなんて、へまはしない。
「少年」
 両腕は広げたままだ。フェンスの上にのぼっているのだから、自然とおれは彼らを見おろすことになる。彼らは自分の状況も忘れて冷や冷やした目でおれを見上げていた。狼狽しちゃって、かっわいー
 彼なんていよいよ本気で自分がたった今殺されそうになっていたことすら忘れたかのように、心底危うげな目でおれを見ている。いい子だね、こりゃあ。
「生きたいか!」
 やっぱり笑顔。おれは一体なにを聞いているんだろうね、おれってば。友人たちは如何にも「はあ?」といった表情になる。まあね。
 別に返事は期待していなかった。だけど、予想に反して、彼は必死にこくこくと頷いた。
 いいじゃん、上出来じゃん。いいねえ、死にたいなんて考えるもんじゃねえよ。しかもいじめでだなんて、くだらねえ。すべては一過性のもんでしかない。とりあえず生きてみりゃあいいこともあるってもんだ。信じられないなら信じなくていい。
 だいたいそんな楽しいことだのいいことってのが必要か? 傲慢だねえ。生きることに意義が必要か? 合理主義だねえ。意味も意義も無くたって生きられんだろ。幸せでも楽しくもなくたって寝床と飯がありゃあ生きられんのさ。おれにはあと音楽があればね。理解できなきゃ安い人間だって笑えばいいさ。安い人間の方が、この世じゃお得だぜ。
 おれは上げていた両腕を下げてズボンのポケットにつっ込む。
「おっ」
 シャッフル再生のiPodがおれの好きな曲のイントロを歌い出した。四分の四拍子を刻むドラムのベース音。直後に入るエレキギター。
 最近この曲がだーい好きなおれをくんでくれてるのか、可愛いおれのiPodちゃんはやたらとこの曲を流してくれる。いいんじゃない、合ってるよ。これ。
 深呼吸。大きく吸って、ゆっくり吐き出してからもう一度。思い切り、肺いっぱいを屋上の空気で満たす。
「いえよ! 生きたいって!!」
 ヘッドフォンから垂れたコードが鬱陶しくゆれた。できることならば今おれが浮かべている笑顔がニヒルでなければいい。
 彼が何か叫んだ。それでいい。ギターのカット。特徴的なボーカルの声。
 ついでにあいつらも、なにかいった。彼同様なにをいったか正確には把握できなかったが、予想はできる。あいつら、人間腐ってるけど基本的には根っからの悪人でもないのさ。なあ?
 ふとおれは腕もバランスに関与していることに気付いて再びポケットから手を取り出す。要は綱渡りの持つ棒と同じだよな。ゆっくりと身体のむきを右に変える。二メートルほど先に広がる四階分の高さの景色。世界って広いなあ。
「いえよ、生きたいって」
 呟く。おれは嘘つきさ。だとしたら「つぶやく」よりは「うそぶく」の方が的確だね。別に生きたいこともないんだ。本当の気持ちって、自身でもわからないもんなんだよなあ……。
 歌を口ずさむ。一曲くらい歌を作ってみたかったな。そしたらおれはこんなとき、その歌を歌ったろう。彼とおれへのはなむけにでも。あいつらにでも構わない。
「冗談よせよ!」
「落ちつけって、こいつ殺すなんて悪ふざけだって、おまえもわかってんだろ!」
 にこり。それは自分のせいで人が死のうとしてることへの焦り? 本気で殺そうとしてたのにね。それとも純粋な制止、……どちらでもいいか。後者だと思っていよう。嘘も信じるよ、おれはね。別に冗談か冗談じゃなかったかだってどうでもいいのさ。彼の代わりに死ぬ。あれ、でもあいつらの言葉によると彼はもう死ななくていいのか。じゃあおれが死ぬ必要もないのか? ああもうよく判らないなあ…
(おれは、何が見たい?)
 赤味の消えた群青の世界。風も全てが、おれの愛する音楽。――口だけ動かしていってみたけれど、この分じゃ声にだしていても風に掻き消されたな。
 ヘッドフォンは好きだ。外界の音をあるていど遮断して、脳髄を音楽だけで満たしてくれる。頭をふった。疑問は不要か。おれは飛ぶ。
 歌が最後のサビに入った。足元を見、距離と歩幅をはかる。これで踏みはずしたりなんかしたら、格好わるくて適わない。




 一歩


 走りだす。神経を足元に集中させる。抵抗が多い。だけどそれも悪くない。おれは生きている。
 また彼やあいつらがなにかいったかもしれない。必死そうな表情をしているが、やはり顔がわからない。彼が手を伸ばしたのが視界の端でもわかった。無駄だぜ、今のおれにはこの歌しか聞こえない。届かない。
 二メートルは夢みたいに長かった。フェンスを思い切り蹴る。






(テイク オフ)





「フェイク」Mr.Children
(07/03/07)