ま る
○
○月○日
「ここはどこ」ぼくはただのひとつのまるだった。なにもないただのしろい世界で、ぼくのまるだけが存在した。ぼくは産まれた。産まれてしまった。ぼくはこのなにもない世界にさっき産まれて、なにもしらない。けれどこうして言葉をはなすことはできる、なぜだか。まるのぼくは世界をはねまわる。「どうして産まれたのだろう」考えても、こたえはない。だからぼくははねまわる。世界はけっこうせまい。
○月○日
カチリと音がして、まるからいっぽんの棒がのびた。まるはぼくの頭だった。はえたのはぼくの胴体だ。ぼくは世界をのたうちまわる。しろくてせまい四角の、ぼくの世界。ぼくは疲れもわすれて世界をのたうちまわる。冷たかったからだは、はげしい運動であたたまっていた。なにもなかったけれど、ぼくには気持ちがあった。いろいろなことを感じられる。のたうちまわる胴体と頭だけのぼくのからだは、おもくてとてもつらかった。ぼくは自分についてかんがえた。わからないまま、ぼくは寝た。
○月○日
カチリと音がして、ぼくに左腕ができた。左腕ができて、ぼくは前より少し移動が楽になった。適当なうたを作って口ずさむ。世界は狭くてなにもないから、ぼくの毎日はさして変わらない。ぼくは世界のはしからはしまで、どれだけ早く移動できるかに挑戦してみた。二百四十一往復したところで、ぼくは疲れて寝た。動きながらまたぼくは自分について考えた。やはり答えは見つからない。
○月○日
カチリと音がして、ぼくに右腕ができた。両腕が出来たことによって、ぼくの移動は格段に楽になった。世界のはしからはしへの移動スピードも当然あがる。けれどぼくはすぐに飽きてそれはやめた。もう昨日から同じことをしている。なにもすることがない。たいくつだ。日課となった自分について考えることくらいしか、ぼくにできることはない。なにもわからない。なにもわからなければ、自分についてもわかるはずがない。教えてはもらえないものか。教えて、そう、教えてもらう。「だれに?」その疑問にぶち当たり、悩んでいるうちにいつのまにかぼくは眠っていた。
○月○日
カチリと音がして、ぼくに左足が生えた。ひどく安定感が悪く、ぼくはケンケンで移動をする。昼にはもう疲れきって、そのまま地面に座り込んだ。ひどくお腹がすいている。塩ラーメンが食べたい。なんだか異様な寒さも感じる。なぜだろう。ケンケンの移動は重労働だったのか、ぼくはいつもより早く寝た。先日悩んだ、教えてくれるだれかはやっぱり今日もあらわれなかった。
○月○日
ぼくは人間になった。いつものようにカチリという音で目が覚めると、ぼくには右足が生えていた。ぼくは五体満足の人間となった。そうして気付く。ぼくはひとりなのだ。五体満足の身体でぼくはのた打ち回る。ぼくはひとり! ひとりひとりひとりひとり、あなたはいない。世界にはなにもない。教えてくれるあなたも、なにかも、ない。ぼくひとりが在って、居るだけ。そんな白くて狭い、だれもいない立方体の世界にぼくひとり。なんてさみしいことだろう。なんてつらいことなのだろう。夕方ころ、どこかから大きな音が聞こえた。「だれ?」訊いてみたけれど、返事はどこからもだれからもなかった。どこかにあなたはいるのだろうか。さみしい。
○月○日
カチリと音がして、ぼくに中足が生えた。もう生えないものと思っていたのに反して新たに身体が生えて、ぼくは非常に狼狽した。「なんだこれは、」わからない、まったくわからない。少なくとも、ぼくはもう人間ではなかった。なにか、人間と似た違う生き物だ。人間の足は三本も生えていない。ぼくは結局なんなんだ。ぼくはぎこちなく三本の足で歩いて、世界のはしを叩き続けた。「だれか! だれかぼくをここから出して! 出してくれ!」ぼくはなにかを理解し始めていた。世界がこの立方体だけではないこと、天井の青さ、床の土の柔らかさ、暖かさ、様々なことだ。「だれか!」叩き続けても、ぼくの世界はなにひとつとして変わらなかった。揺るぎない、立方体のぼくの世界。ふと思い直して、ぼくは壁を叩くのを止め、三本の足を不器用に曲げて座り込んだ。ここを出ることが出来たとして、ぼくはきっと世界に受け入れられない。ぼくは人間ではないのだ。昨日だけ、人間だった。多くても少なくてもいけない。受け入れられるはずもない。この立方体の世界で産まれて死ぬ。それがぼくの一生だ。それで、ぼくはなんになるんだ。どんな意味を持つんだ。
○月○日
カチリと音がして、ぼくに中後ろ足が生えた。神話にあるような、上半身が人間で、下半身が動物と言った容貌ではない。横一列に並んで、四本の足が生えているのだ。なんだこれは。ぼくは自身の滑稽でおぞましい姿に吐き気がした。死にたい。どうしてこんな姿に、だれにも見られないからいいのか? そんな問題じゃない。もう嫌だ。ぼくは世界の外にぼく以外の意思を感じた。ぼくはきっと人間によって作られたんだ。ならばこの姿を人間たちがどこからか見て笑っているに違いない。卑怯者、卑怯者。どうしてぼくを作ったんだ。死にたい。かなしい。こんな人生はつらい。普通の人間のように生きたい。誰か、だれか、だれかこの世界に、ぼくに会いにきて。このおぞましい姿を受け入れて。無理か、無理だよな! だって、なんだこの無様な姿は! ああもう死にたい死にたい死にたい死にたい、こんな見世物の人生なんて。助けてください、かみさま、かみさま。
○月○日
カチリと音がして、もう何本目になるか判らない腕が生えた。ぼくは狭い世界の中で蠢く。増えたのは手足だけでなく、眼球、耳、口。人間の器官と言う器官が、本来考えられないような数だけぼくについている。ざわりと、ぼくは蠢く。ははっ、沢山の口から嘲笑が漏れた。幾つかの目はどろどろと涙を流し、ひとつの口から嗚咽が漏れる。いつの間にかたくさんの意思を持った口は様々に口を開き叫ぶ。「殺してくれ!」「どうしてぼくを作ったんだ! 見世物にするつもりか!?」「いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ」「なぜぼくをつくった!」「ぼくをつくったおまえらが憎い!」「どうかぼくを殺してくれ! こんな姿はもう嫌だ!」「生きてなんていたくない!」「ぼくを殺せ! 殺してくれ!」「このつらさがおまえらにわかるか! このさみしさが!」「もうたくさんだ、こんな人生は!」「この身体がどれだけ苦しいか、おまえらにはわからないんだ!! おまえらは五体満足で、普通の人間だからそうやって嘲るように笑って気持ち悪がってぼくを見ることができる!」「にくいにくいにくいにくいにくい」「おまえたち自身、じぶんがこんな姿になったら! なったらおまえらはどうやって生きていくんだ! 死にたくなるか!? そうだよな! 殺してやるよ! そのときはぼくが殺してやる!」「殺せ! ぼくを殺せ!」「あああああああああああ神様、ぼくを救ってください! どうか死んだぼくを、今度は! 今度こそは普通の、普通と変わらぬ人間に!!」「さあ殺せ! 今すぐ殺せ!」
ぶつり
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
なにも見えない、なにもない!めきめきとぼくの腕や手や耳や鼻が剥がれ落ちて、みるみるぼくは初めと同じ、ただのまるになる。いやだ、いやだ、死んでしまう! ぼくが死んでしまう!! 自由にして! ぼくはただの人間にして! ぼくを普通の人間のように、普通に、普通に普通に、ふつうに生きさせて! 死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない
あ、 あっ、 あーーーーーーーーーーーーーー
ぼくはなに。どうしてうまれたの。
どうしてふつうにはいきられないの。どうして、どうして、
こんなことなら、うまれなければよかった。うまれたくなかった。でも、
しにたくないよ。
はねまわっていた「まる」が、ちゃくちとどうじにぺちゃりと潰れた。
ネタ元:ザリガニザリガニ様
(07/06/09)