マイ・ネーム・イズ「比呂イズム」。出る雲って書いて、イズムだ。そりゃイズモだろ、なんて言わないでやってくれ。要するにぼくの親がアホだったんだ。洒落でもない、偶然なってしまっただけ、ヒロイズム、英雄主義、ぼくの名にそんな意味はない。だけどなんだかそう言うのもまぬけだから、きかれたときは素直にそうだよって認めることにしている。どっちにしろ、ぼくは事実ヒーローなのだ。名前が違かろうと、どうせ「ヒーローだから苗字が比呂なの?」だとかなんとか、きかれたことだろう。
 腐った世の中だと思わないか。子どもの憧れ仮面ライダーですら、今や私利私欲のために戦う。物語的にはそれでいいのかもしれないが、世界や人民にとってはいい迷惑だ。ただの大量殺人犯なナポレオン、国民を踏み潰して遊ぶウルトラマン、そんな感じ。ぼく、ぼくは…どうでしょう。
 死屍累々。一番手近にいたやつを足でつついてみる。微かに反応したから、死んじゃいないだろう。正義を振り翳して行う暴力。ぼくのヒーロー的活動のなかで、唯一好きで楽しいことだ。右足が男の腹を蹴ったことで薄いオールスターの靴底を経て骨に伝わってきた振動を思い出し、ぼくは身震いする。右手はまだ久々のパンチでの痺れが残っていた。
 一息吐いて、周りを見回してみた。夜も遅いし、車も人もいない。どうやら女はさっさと逃げたらしい。なんて身勝手な。足が竦んで逃げられもせず、黙って暴行の現場を見てトラウマにでもなってしまえば良かったのに。そう考えたところで、どうせぼくはヒーローにしかなれない。折角の酔いも醒めてしまった。さっさと帰って寝ることにしよう。


 さげられた食器の山の上に、一枚だけ違う種類が乗っていた。気づいたが、直しはしない。そこまではヒーローの仕事じゃない。視界の隅で隣りにいた男の手がのびた。例の食器に手が掛かる。「あ」、ぼくが口から間抜けな音を発したのと食器の山が崩れ落ちるのは、ほぼ同時だった。遅れて、プラスチックの皿たちが床に散らばる音。
 隣りの男をみると、呆然と食器に手をのばした格好のまま止まっていた。たっぷり一秒して、やってしまったとばかりに頭を掻いて溜息を吐く。彼がこちらをみて、ぼくらは目があった。やっちゃったねえ、と彼だけに聞こえるよう呟いて、ぼくは意地悪に笑う。隣りに立っているだけじゃ気付かなかった。幼馴染の阿久津アオリ。
「うっかりした」足元に散乱する皿を見やる。
「またアンタかい、勘弁してくれよ」
 洗い場でアオリの顔を確認したオバサンが叫んだ。アオリはぼくと同じでちょいとばかり有名だ。ヒーローがいれば、悪役がいる。そういうこと。そして、大学生活三年目の春にして、アオリの食堂で食器の山を崩した記録はざっと百回にはのぼる筈だ。言い過ぎか。べつに、アオリがそそっかしいわけじゃない。
 無表情で俯いていたアオリは、黙って踵を返して食堂の出口へと向かった。成り行きを見ていた人が、「なにあれ」「拾えよ」と不満気な声を上げる。既に何人かが皿を拾い始めていたなかにぼくも加わった。他人が口つけたものなど、本当は触りたくないんだけど。
 皿を拾い終えて食堂を出ると、廊下の窓側に凭れてアオリが待っていた。ぼくの姿を見ると、背中を浮かす。
「毎度ながら、悪いな」
「もう慣れた、何年の付き合いだと思ってんだ」
「ああ。俺もおまえに俺の後始末をさせる為に一緒にいるから、有難い限りだよ」
「一般人に迷惑かけるのは申し訳ないからってか。悪役が、笑わせる」
 言って、ぼくたちは少し悪戯っぽく笑った。ヒーローと悪役、ぼくたちは本来対立する関係だ。確かに仲は良好とは言えない、腐れ縁みたいなものだ。しかし喧嘩をすることだって滅多にない。何故って、する理由がないから。ぼくたちは一緒にいて非常に相性がいい。その各々の『特性』故にだ。
 ぼくはヒーローになるべくして生まれてきた人間で、アオリはその逆。ぼくはいいことなんて特にしたくないし、中学生がかつあげされていたら助けたりなんかせずに、『可哀想に』と同情の視線を送りつつもわくわくしながら傍観していたいような人間だ。殴り合いの喧嘩だって好きだけど、ヒーローは正当な理由がなくちゃ喧嘩も売れない。不便。一方アオリは、先ほどのように自身の意図に反して生じる悪事に、いちいち心を痛めている。いい人なんだな、と冷めた感情で思いながらも、なんだか馬鹿だと思う。どうして二人して嫌々ヒーローや悪役をやっているのかというと、それは一重にその『特性』の所為であって、言うなれば運命だ。先ほどのアオリを見れば、判るだろう。「アオリは善事が悪事に転換される」。
 小学校低学年の頃か、ぼくらはそれぞれの特性に気づき始め、それについて数々の実験を重ねた。本来悪餓鬼であるはずのぼくはいい子と扱われ、アオリは本来善良な生徒のはずなのに悪餓鬼と罵られた。ぼくはともかく、それでよくアオリは捻くれなかったものである。しないけど尊敬したい。実験の結果は明白で、ぼくたちは仕方なく運命に従ってヒーローや悪役として生きることになった。アオリは運命に抵抗を続けていたが、それもアオリが高校のときに終わった。それについては、またいずれ。




 校舎から出てくる蛆虫どものなかから、彼女を探す。それは砂漠のどこかに埋まる一掴みの砂金を探すよりは容易で、十円玉の山から五百円玉を探すよりは困難だ。だけど、粘れば既に帰っているときを除けばいずれ彼女は必ずここを通る。なら、大切なのは単に忍耐だ。
 もう帰ろうかとも思ったころ、彼女は校舎から出てきた。待った甲斐があったとぼくが立ち上がると、彼女もぼくの姿を認めて明らかな嫌悪の表情となる。愛も行きすぎて憎しみになるってね。
「一日ぶり、マイハニー」
「誰がハニーですか」
 無視して彼女は歩いてゆく。そんな素っ気ない様も愛しい。「毎日毎日やめてくれませんか」「だから昨日は来なかったよ。毎日じゃない」「さして変わりません」彼女はいわゆるぼくのスイートハートだ。高校生とちょっと年齢差は痛いが容姿端麗、成績優秀、性格はごらんの通りツンデレ。最高じゃないか。
「いい加減やめてください。彼氏に誤解されます」
「誤解なんてしようがないでしょ、ぼくなんだから」「しばきますよ」
「サキ」落ち着いた声音にぼくと彼女が振り返ると、如何にも頭の良さそうな眼鏡くんが立っていた。心なしか表情は険しい。急速に乾いた喉でだれ、と問うより早くそいつは彼女の腕を引き寄せてから、「彼氏です」と言った。ふーんそう。
「あの、いい加減、ほんとうにやめてくれませんか。こいつも困ってますから」彼女は彼氏のほうを見た。その表情からその内までは読み取れない。行こう、と小さく言って彼女の手を取るとそいつは歩き出す。図太く追いかけることもできず、ぼくは黙って二人を見送った。会話までは聞き取っていないだろうが、蛆虫どもが物珍しげにぼくを見ている。
 二人が見えなくなると、唐突になんだかささくれ立った心持になってきた。二人はぼくがヒーローでありながらこんな酷い人間だと知っているのに、それを公にしない。なんとも苛々する。ぼくは本当はヒーローなんてやりたくないし、アオリの尻拭いもしたくない。恋が上手くいかないのはぼくに問題あるのだろうけど。

 あれから一人の女子生徒に捕まってサインを強請られた(しかしヒーローのぼくはサインなんてしないので丁重に断った)。本当にやりたくないのなら、ヒーローなんてしなければいいんだ。それでも続けているのは、やはりそうやって人から好かれるのは楽しいし見下せるからだ。人を救っているふりをすることで人よりも優位に立てる。そしてこんな因果な運命持っていなければ、ぼくは普通にやりたいように悪いことをするのさと嘯きもできる。
 気がついたのだ。ぼくはいつからか愛想のいい笑顔を作って他人に応えていたことに。


The imitation of hero
(偽善者ヒーロー)


(07/07/04)