それはそれは奇妙な感覚であった。少なくとも今まで体験したことのない、不思議な感触なのであった。その浮遊感の正体がわからない。ここに至るまでの経緯をなぞる。思い出せることはいくらでもあった。思い出したいことも、どうしようもないほどにある。しかし時間がそれを許さない。 春奈。 置いてきてしまった恋人の名を呼ぼうと思ったけれど口は動かなかったし声帯は震えなかった。たどった線は正しく過去を反芻して現在へと到着する。そこが終着地点であり、それより先は存在しない。新しくも生まれない。こここそがおれの終わりなのである。そこに彼女といられなかったことを惜しく思うけれど連れてくることが正しいとは毛頭思わない。違う、そもそもこうしてここに辿り着かなければ良かったのだ。この結論に辿り着きさえしなければ、おれはもう少し長い時間彼女といられただろう。しかしおれはおれの出した結論をなじろうとは思わない。間違っているとも思わない。人はおれを正しくないとなじるかもしれないけれど、そんなもの、なにも恐ろしくはない。しかし不思議と、罪悪感も湧かないのだ。おれはこの結論に、結果に、充足感すら感じている。自己満足であるのかもしれない。しかし人生とは結局のところ自己満足できるか否かが全てではないだろうか。いや違う。彼女を愛していた以上、おれは彼女のことをなによりもまず先に考えるべきだった。彼女を悲しませた時点でこの結果はおれにとって満足のできないものであるべきだ。そうわかりきっていながら、こんな結果を選んでしまった。届くことはないだろうが、ここで詫びよう。謝罪には力も意味もないけれど。 時節はもうすぐ冬になるはずであるのに、なぜだか水が温かい。冬が終わり春になったのだろうか。だとしたらおれはもう随分と長いことここにいたことになる。それとも感覚が麻痺しているだけだろうか。なんであれ、凍えるよりはずっといい。水はおれが沈むことを拒否するように水上へと運ぶ。おれを生かそうとしているのだろうか。健気なものだ。もう遅いというのに。水が、あたたかい。 この意識はいつまで続くのだろうか。これは意識なのだろうか。おれは非科学的なものは信じない。そんなものは、文学や映画の中にだけ存在していればいい。そもそも、この身体はいつから呼吸を止めている? いつから鼓動を諦めている? この意識の持続は、どう考えたっておかしい。おれに、後悔する時間を与えようとしているのか。翡翠色の水はおれが沈むことを拒む。春奈。春奈。きみの腕の中で死にたかった。 |