アポトーシス・魚・魚




 それは正に、深海に他ならなかった。世界中のどのような言葉を以てしても、それを正確に表すことはできない。そのひとを前にしては、どんな言葉も力をなくし意味を成さない。それを表現し得る言葉は何処を探しても見つからない。しかし時折、驕ってしまうのだ。それを表現することは容易い。それを表す言葉は世界に溢れている。そうした言葉を使えば、私もそれを表現できるのだと。しかしそれは思い違いである。勘違いも甚だしい。それら言葉は飽くまで媒体であり、本質そのものではないのだ。言葉は舟である。積荷が無ければ意味も無い。偶に、どうしようもなく恐ろしくなる。己の幸福さを。不自由の無さを。恐ろしくて堪らない。幸福の裏について回る不幸の陰に、怯えているのだ。常に。私は時計の針の進行を恐れている。しかし同時に、楽しみでもあるのだ。明日明後日一ヵ月後未来何十年後であったって、未来のヴィジョンは救いようもないくらいに美しい。やがて私に不幸が訪れるのだとしても、この幸福は翳らない。寧ろ一層輝きを増すのである。私は今この瞬間を更なる幸福で彩ろうと試みる。スケジュール帳は満たされていて、私は時計の針の進むことが楽しみで仕様がないのだ。私は矛盾で満ちている。しかし迷うことは無い。あなたはナイフ。私を切り裂き掻き乱す。鋭く光る切っ先がいつか私を殺すのだとしても、私は目が離せない。私は深海。あなたを包み、甘く軽やかに絞める綿。